「いま自分にあるもの」
「僕には近くに共感してくれる人がいないんだ」
「僕には近くに甘えられる人がいないんだ」
「僕にはあんな環境がないんだ」
僕は時々、「僕には〜がないんだ」って、
自分のことを卑下することがあります。
でも、今日ランニングしていて
ふと思ったのですが、
そのような考えを持つことは、
自分でいまあるとても大切なものを
自らの手で見えなくしているようなことである
ということに気がつきました。
確かに、
きょうの僕は、一人で生きている感じがします。
自分で生活から学業までのあらゆることを
一人でしなければならないし、
僕のやっている今の活動にしても
なかなか共感してくれる人を見つけられないでいるのです。
だから、何かが欲しくなったり、
いまを嘆いてしまうのは必然かもしれません。
しかし、ランニングをしていた僕は、
そんな自分を卑下したり嘆いたりする以上に、
「いま自分にあるもの」にもっと目を向けなければならないと思ったのです。
「いま自分にあるもの」とはなんでしょう?
それは、遠い離れた土地で、
僕を支えてくれる家族や仲間の存在。
それとほんのわずかですが、
僕の近くで一緒に助け合いながら日々を送る仲間の存在。
大学や図書館、PCといった
素晴らしい環境があることなど...
それに、奨学金だって、
「支給されるのは、当たり前だ」なんて思ってない?
走りながら自分に、
そう問いかけてみました。
僕は、明日食べるものに困らず生きていられます。
僕は、いま屋根のある家でPCがある家で暮らせています。
僕は、家族や仲間に支えられながら高等教育を受けることができています。
「いま自分にあるもの」を考えてみることで、
「僕には〜がない」が単なる言い訳にしか聞こえなくなりました。
どうやら、僕は佐賀という地で、
学び続けられることや生活していけることの喜びと感謝を
もっともっと表現していく必要があるようです。
もっといえば、
きょう僕が“ただ生きていることだけ”の喜びを
日々の学業や生活の中で表現してくべきなのでしょう。
もしかすると、
そう僕が喜びを表現している最中で、その思いが誰かに伝わり、
突然、思いもしない嬉しい出来事が起こるかもしれませんね。
明日からの僕は、
ただ夢に向かって頑張るだけではなく、
「いま自分にあるもの」への喜びと感謝を、
学業や生活の中で大爆発させていきたいと思います。
「僕には近くに共感してくれる人がいないんだ」
「僕には近くに甘えられる人がいないんだ」
「僕にはあんな環境がないんだ」
僕は時々、「僕には〜がないんだ」って、
自分のことを卑下することがあります。
でも、今日ランニングしていて
ふと思ったのですが、
そのような考えを持つことは、
自分でいまあるとても大切なものを
自らの手で見えなくしているようなことである
ということに気がつきました。
確かに、
きょうの僕は、一人で生きている感じがします。
自分で生活から学業までのあらゆることを
一人でしなければならないし、
僕のやっている今の活動にしても
なかなか共感してくれる人を見つけられないでいるのです。
だから、何かが欲しくなったり、
いまを嘆いてしまうのは必然かもしれません。
しかし、ランニングをしていた僕は、
そんな自分を卑下したり嘆いたりする以上に、
「いま自分にあるもの」にもっと目を向けなければならないと思ったのです。
「いま自分にあるもの」とはなんでしょう?
それは、遠い離れた土地で、
僕を支えてくれる家族や仲間の存在。
それとほんのわずかですが、
僕の近くで一緒に助け合いながら日々を送る仲間の存在。
大学や図書館、PCといった
素晴らしい環境があることなど...
それに、奨学金だって、
「支給されるのは、当たり前だ」なんて思ってない?
走りながら自分に、
そう問いかけてみました。
僕は、明日食べるものに困らず生きていられます。
僕は、いま屋根のある家でPCがある家で暮らせています。
僕は、家族や仲間に支えられながら高等教育を受けることができています。
「いま自分にあるもの」を考えてみることで、
「僕には〜がない」が単なる言い訳にしか聞こえなくなりました。
どうやら、僕は佐賀という地で、
学び続けられることや生活していけることの喜びと感謝を
もっともっと表現していく必要があるようです。
もっといえば、
きょう僕が“ただ生きていることだけ”の喜びを
日々の学業や生活の中で表現してくべきなのでしょう。
もしかすると、
そう僕が喜びを表現している最中で、その思いが誰かに伝わり、
突然、思いもしない嬉しい出来事が起こるかもしれませんね。
明日からの僕は、
ただ夢に向かって頑張るだけではなく、
「いま自分にあるもの」への喜びと感謝を、
学業や生活の中で大爆発させていきたいと思います。
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