「Caffeine Diet」
「カフェイン“で”減量」
をするのではなくて...
「カフェイン“を”減量」
しようとしています。
つまり、
コーヒーの飲む量を
徐々に減らしていくといことです。
中学生のときから
自分をコントロールするために
よくコーヒーは飲んでいました。。。
だけど、それに頼るのも
もう限界がきたことに最近気づきました。
コーヒーは、
気持ちを落ち着かせたり、
眠気さませたり、
ちょっと気持ちを
ふるいただそうしたりするときに、
便利な飲み物です。
最近は、何かと
処理しないといけない情報が多くなったり、
何かを考えなければいけないことが多くなったりしています。
それに比例するかのように
コーヒーの飲む量も増えてしまっているのです。
そのおかげで、
様々な学習をすることが
できるようになりましたが、
カフェインという
外部刺激で日々の学習することは
「真の学習の力がついた」
とは言えない気が最近してきました。
安定し、継続できる
「確かな学習の力」とは、
きっと、内発的な動機づけでおこなって
はじめてつく力だと思います。
まずは、1日朝の1杯だけに減らし、
いずれかは、必要最小限の量を目指したいと思います!
「カフェイン“で”減量」
をするのではなくて...
「カフェイン“を”減量」
しようとしています。
つまり、
コーヒーの飲む量を
徐々に減らしていくといことです。
中学生のときから
自分をコントロールするために
よくコーヒーは飲んでいました。。。
だけど、それに頼るのも
もう限界がきたことに最近気づきました。
コーヒーは、
気持ちを落ち着かせたり、
眠気さませたり、
ちょっと気持ちを
ふるいただそうしたりするときに、
便利な飲み物です。
最近は、何かと
処理しないといけない情報が多くなったり、
何かを考えなければいけないことが多くなったりしています。
それに比例するかのように
コーヒーの飲む量も増えてしまっているのです。
そのおかげで、
様々な学習をすることが
できるようになりましたが、
カフェインという
外部刺激で日々の学習することは
「真の学習の力がついた」
とは言えない気が最近してきました。
安定し、継続できる
「確かな学習の力」とは、
きっと、内発的な動機づけでおこなって
はじめてつく力だと思います。
まずは、1日朝の1杯だけに減らし、
いずれかは、必要最小限の量を目指したいと思います!
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「後発的」
僕のストレスは、
後発的に身体に現れます。
特に一番酷いのが、
試験が終わった日の翌日です。
昨日はTOEICがありました。
試験会場は他大学。。。
それまで数週間、
課題レポートや予習などと
平行しながら何とか切り抜けてきました。
そして、
試験翌日の今日、
授業の内容を
聴いていられないほどの
胃痛と頭痛が襲ってきました。
気持ちはとても楽なのですけど、
後発的って厄介です。
僕のストレスは、
後発的に身体に現れます。
特に一番酷いのが、
試験が終わった日の翌日です。
昨日はTOEICがありました。
試験会場は他大学。。。
それまで数週間、
課題レポートや予習などと
平行しながら何とか切り抜けてきました。
そして、
試験翌日の今日、
授業の内容を
聴いていられないほどの
胃痛と頭痛が襲ってきました。
気持ちはとても楽なのですけど、
後発的って厄介です。
「“盗む”ってステキ!」
最近、他人の
「あれ素敵だなぁ...」
「素晴らしいなぁ...」
と思った行いや言葉を
できるだけ盗んで
自分なりにアレンジして
使ってみようと心がけています。
すると、
不思議なことに
ただ、他人の素敵なとろを
盗もうとしているだけで
何かと自分自身に
良い出来事が頻繁に起きたり、
物事が上手く回ってくれます。
例えば、帰宅直前に
調理の先生から試作品のコロッケを頂いたり、
特にこれまで
つながりもなかった人と話すようになり
友達が新たに増えたりなどなど...
しかし、考えてみれば、
他人の素敵なところを盗もうとすることで
それがたとえ
どんなに些細な“素敵”であっても、
それに注目しようとする自分がいることに気がつくのです。
すると、同時に
日常生活の中で自分に降り注いでいる
些細な“幸せ”にも気がつくことができます。
何気ない日常に
ちょっとした彩りを加える方法を知りました。
他人の素敵なところを
“盗む”ってステキ!
最近、他人の
「あれ素敵だなぁ...」
「素晴らしいなぁ...」
と思った行いや言葉を
できるだけ盗んで
自分なりにアレンジして
使ってみようと心がけています。
すると、
不思議なことに
ただ、他人の素敵なとろを
盗もうとしているだけで
何かと自分自身に
良い出来事が頻繁に起きたり、
物事が上手く回ってくれます。
例えば、帰宅直前に
調理の先生から試作品のコロッケを頂いたり、
特にこれまで
つながりもなかった人と話すようになり
友達が新たに増えたりなどなど...
しかし、考えてみれば、
他人の素敵なところを盗もうとすることで
それがたとえ
どんなに些細な“素敵”であっても、
それに注目しようとする自分がいることに気がつくのです。
すると、同時に
日常生活の中で自分に降り注いでいる
些細な“幸せ”にも気がつくことができます。
何気ない日常に
ちょっとした彩りを加える方法を知りました。
他人の素敵なところを
“盗む”ってステキ!
「天使が舞い降りた!?」
最近は、
とても反省することが
多いです...
ちょっとした
言葉の使い方だとか
何気ない行動にしても...
それに、
目の前に数えきれないくらいの課題が
ゴロゴロ転がっていて。。。
自分が嫌になって
泣きたくなります。
ため息を
ひとつつこうと思っても
何か幸せが逃げて行きそうで
怖くてできません...
走り終わり
お風呂に入り
机に着かずに
ベッドに着いてしまい
ぼーっとしていました
自分が潰れたり
パンクしそうな気がしてきました。
ふと、右手に
チョコボールを持っていたのを思い出して
それを開封すると...

なんと、
「銀のエンゼル」が出てきました
その銀のエンゼルは
僕の方を見てほほ笑みながら
手を振ってくれていました。
それを見て、
何だかおかしくなって
くすっと僕もほほ笑みました。
すると、少しだけ
また元気が戻ってきました。
それが何かの
吉兆であることを期待して
また頑張ろうかなぁ。。。
最近は、
とても反省することが
多いです...
ちょっとした
言葉の使い方だとか
何気ない行動にしても...
それに、
目の前に数えきれないくらいの課題が
ゴロゴロ転がっていて。。。
自分が嫌になって
泣きたくなります。
ため息を
ひとつつこうと思っても
何か幸せが逃げて行きそうで
怖くてできません...
走り終わり
お風呂に入り
机に着かずに
ベッドに着いてしまい
ぼーっとしていました
自分が潰れたり
パンクしそうな気がしてきました。
ふと、右手に
チョコボールを持っていたのを思い出して
それを開封すると...
なんと、
「銀のエンゼル」が出てきました

その銀のエンゼルは
僕の方を見てほほ笑みながら
手を振ってくれていました。
それを見て、
何だかおかしくなって
くすっと僕もほほ笑みました。
すると、少しだけ
また元気が戻ってきました。
それが何かの
吉兆であることを期待して
また頑張ろうかなぁ。。。
「理想って?」
今日は、走りながら、
“理想”について考えていました。
理想は、
とても素晴らしいものに見えます。
何でも100%に完璧にこなせ、
理想に到達できるのであれば、
それに越したことは無いと思います。
ただ僕は、
「理想」には、
時に誰かを抑圧したり、
あるいは自分自身を抑圧する側面があることを
知らなければならないと思いました。
歴史を振り返っても、
そうです。
共産主義や全体主義は、
ある意味、理想を追い求めていました。
しかし、
その結果は、
相反するものでした。
フランス革命だってそうです。
確かに人類にとって
歴史的意義のある出来事です。
しかし、一方で、
その後に起きた事柄を振り返り、
その革命の意義自体を否定する論もあることも事実です。
国家や組織レベルだけではなく、
私たち自身個人レベルでも同じことがいえるかもしれません。
時に、理想を追い求めすぎ
本当の自分を抑圧しきってしまうこともしばしばです。
だとすると、
究極の理想なんて存在しないのでしょうか?
もし、そんな理想があったとすれば、
それは宗教なのでしょうか?
とはいえ、
理想を完全に排除し、
相対主義的に個人個人が思うままに、
自由にいき過ぎるようになりすぎてもまた危険です。
理想と相対主義のせめぎ合い...
難しいです。。。
走りながら、
理想を追い求める自分や、
完璧を目指そうとして、
いつも頑張るも、
苦しんでいる人や自分自身を見つめて、
そんなことを考えていました。
そんなとき、
高校時代に出会ったある言葉を
ふと思い出しました。
教育学者、
思想家としても有名で、
国語の問題でも
おなじみの
心理学者の
河合隼雄さんは、
そんな「理想」を
「灯台」になぞらえて
簡潔にこうおっしゃっていました。
「灯台に近づきすぎると難破する」
僕はこの表現が、
上手く「理想」のあり方を表現しているなぁと思います。
「理想」は決して、
目指すべき「ゴール」ではないのです。
むしろ、理想は「灯台」ようなもので、
あなたが向かおうとする航路を照らし、
指し示すものなのでしょう。
そして、理想というものは、
時とともに変化し流動的なものです。
それは、
船が一つの灯台だけ見るのではなく、
いくつもの灯台を同時に見たり、
一つの灯台が見えなくなったら、
その次見えてくる灯台を見たりするのに似ています。
ただし、船は灯台(=理想)に
決して接近しようとはしません。
なぜなら、
船が難破するからです。
そうであるなら、
「灯台」は、近づことすればするほど、
自分自身や誰かを抑圧してしまうような「理想」に少し似ています。
きっと理想は、
ゴールではなく灯台のようなものなんでしょうね。
【本の紹介】

『こころの処方箋』新潮文庫
河合隼雄さんの本は、
高校時代によく読みました。
それが、
当時、僕がカウンセラーになろうと思った
一因になったのかもしれません。
ちょっと見つめる視点を変えたいな、
って思ってる人にお勧めの本です。
今日は、走りながら、
“理想”について考えていました。
理想は、
とても素晴らしいものに見えます。
何でも100%に完璧にこなせ、
理想に到達できるのであれば、
それに越したことは無いと思います。
ただ僕は、
「理想」には、
時に誰かを抑圧したり、
あるいは自分自身を抑圧する側面があることを
知らなければならないと思いました。
歴史を振り返っても、
そうです。
共産主義や全体主義は、
ある意味、理想を追い求めていました。
しかし、
その結果は、
相反するものでした。
フランス革命だってそうです。
確かに人類にとって
歴史的意義のある出来事です。
しかし、一方で、
その後に起きた事柄を振り返り、
その革命の意義自体を否定する論もあることも事実です。
国家や組織レベルだけではなく、
私たち自身個人レベルでも同じことがいえるかもしれません。
時に、理想を追い求めすぎ
本当の自分を抑圧しきってしまうこともしばしばです。
だとすると、
究極の理想なんて存在しないのでしょうか?
もし、そんな理想があったとすれば、
それは宗教なのでしょうか?
とはいえ、
理想を完全に排除し、
相対主義的に個人個人が思うままに、
自由にいき過ぎるようになりすぎてもまた危険です。
理想と相対主義のせめぎ合い...
難しいです。。。
走りながら、
理想を追い求める自分や、
完璧を目指そうとして、
いつも頑張るも、
苦しんでいる人や自分自身を見つめて、
そんなことを考えていました。
そんなとき、
高校時代に出会ったある言葉を
ふと思い出しました。
教育学者、
思想家としても有名で、
国語の問題でも
おなじみの
心理学者の
河合隼雄さんは、
そんな「理想」を
「灯台」になぞらえて
簡潔にこうおっしゃっていました。
「灯台に近づきすぎると難破する」
僕はこの表現が、
上手く「理想」のあり方を表現しているなぁと思います。
「理想」は決して、
目指すべき「ゴール」ではないのです。
むしろ、理想は「灯台」ようなもので、
あなたが向かおうとする航路を照らし、
指し示すものなのでしょう。
そして、理想というものは、
時とともに変化し流動的なものです。
それは、
船が一つの灯台だけ見るのではなく、
いくつもの灯台を同時に見たり、
一つの灯台が見えなくなったら、
その次見えてくる灯台を見たりするのに似ています。
ただし、船は灯台(=理想)に
決して接近しようとはしません。
なぜなら、
船が難破するからです。
そうであるなら、
「灯台」は、近づことすればするほど、
自分自身や誰かを抑圧してしまうような「理想」に少し似ています。
きっと理想は、
ゴールではなく灯台のようなものなんでしょうね。
【本の紹介】
『こころの処方箋』新潮文庫
河合隼雄さんの本は、
高校時代によく読みました。
それが、
当時、僕がカウンセラーになろうと思った
一因になったのかもしれません。
ちょっと見つめる視点を変えたいな、
って思ってる人にお勧めの本です。
